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似たり寄ったりなことを百万回繰り返しても足りない

「ブロマンス」という言葉の孕む危険

先程、Twitterで下記のサイトが拡散されてきました。韓国ドラマ『ミッション・ボディーガード』についての記事なのですが、ここではそのドラマの話は置いて、「ブロマンス」という言葉についての話をします。

 

h21.hani.co.kr

 

 

「ブロマンス(Bromance)」とは「ブラザー(Brother)」と「ロマンス(Romance)」の合成語であり、男性同士の関係性に対して用いられます。

 

ブロマンス(Bromance)とは、2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはなく、ホモソーシャルな親密さの一種である。

ブロマンス - Wikipedia

 男性同士の極めて近しい関係を指すが、性的な関わりのない親密さの一種である。

ブロマンス (ぶろまんす)とは【ピクシブ百科事典】

現在はヘテロセクシャルによる男性同士の強い連帯関係(所謂ホモソーシャル)や比較的恋愛感情に似た、精神的な友愛感情を指す言葉として使用されている。

ブロマンスとは (ブロマンスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

オタク御用達の3つのサイトから定義に関する部分を引用してきました。これらが共通して語っているのが「恋愛関係にないこと」そして「性愛関係にないこと」です。つまり「ブロマンス」は、「彼らの間に強く親密な感情を見出せるが、それは恋愛・性愛関係ではない」という状態を指しているものと思われます。

 

一時期Twitterなどで流布していた言説は「セックスやキスなどの性的接触をしないからブロマンスなのだ」という主旨のものだったと記憶しています。しかしそれこそが、「ブロマンス」という言葉の孕む危険なのではないでしょうか。

「ブロマンス」は「恋愛」と「性愛」を同時に否定するがゆえに、これらを極めて強く結びつける言葉です。そのため、「ブロマンス」という言葉を使うとき、その裏側にあるこの癒着によって、自動的に「プラトニックな恋愛」や「友情など恋愛以外の感情に基づくセックス」が否定されかねないのです。

言ってしまえば、「ブロマンス」とは「恋人はセックスする」「友達はセックスしない」そして「セックスするのは恋人」という前提のもとで成り立っている言葉なのです。

 

断定調で書きましたが、これらは筆者の主観的解釈に過ぎません。なので、拡大解釈や被害妄想が過ぎると感じる方も多くいらっしゃることでしょう。

 

mortal-morgue.hatenablog.com

 

こちらの記事を書いたときにも根底にあった精神ですが、本来なにかをカテゴライズすることは多かれ少なかれ傲慢です。なにかを枠組みに収めることには、収まらない部分の排除や否定という暴力が常に付きまといます。

 

ここで注目したいのが、「百合」という言葉です。様々な論争を経ながらも、「百合」という言葉は「女性同士の恋愛・性愛関係」という定義に留まらず、「女性同士の(なんらかの強い)関係性」程度の定義に落ち着いてきているように感じます。

 

どこまでを百合と言うか

女性同士のどこまでの関係を百合とするかは人によって異なる。
必ずしも百合=恋愛とは限らず、友情を扱った作品を百合としたり、性的な描写のある作品を含めるか否かなどこの基準は十人十色である。

(略)

つまり、自分の百合の基準を持つのは自由だが、それを他人に押し付けないことが大切である。

百合 (ゆり)とは【ピクシブ百科事典】

 

「百合」という言葉はどんどん意義が拡張されてゆきました。ピクシブ百科事典やその他サイトの各項目には、その歴史が如実に反映されています。また、上記の記事では『ユーリ on ICE!!!』というアニメの中で「愛」という言葉の意義が拡張されていることを述べています。

おそらくこれから様々な言葉が多様性を孕んでゆくことでしょう。カテゴライズの弊害である排除や否定は、人々に息苦しさをもたらしていると感じます。もちろんその一方でカテゴライズによって得られる安心や便宜も決して否定できませんが、それがともすれば差別につながるものであることを考えると、個人的には、様々な言葉がゆとりを持ってほしいと思います。

主旨から外れますが、今現在最も「百合」に対応しているであろう言葉は「ホモ」でしょうが、これは同性愛差別語であるため、あまり望ましくない状況だと思います。

 

プラトニックな異性愛があるように、プラトニックな同性愛もあります。異性のセックスフレンド、また友情(をはじめとする恋愛以外の感情)に基づくセックスがあるように、同性のそれもまた然りです。

 

「ブロマンス」という言葉が指し示す概念を否定したいわけではありませんし、それを使うなと言いたいわけでもありません。今「ブロマンス」と呼ばれている関係性は当然世界中にありますし、それを指し示して共有したいからこそ「ブロマンス」という言葉は生まれたのでしょう。

「カップリング」の定義もまたしばしば話題になり、「セックスするのがカップリング」という言説を見かけます。これは裏を返せば性愛のない関係はカップリングではないとしているわけで、じゃあ性愛のない男性同士の関係をどう呼称するのかというときに、この「ブロマンス」というのが無視できない便宜を持っているのはよくわかります。

しかし、(カップリングやボーイズラブなど)なんらかの「男性同士の関係性」を示す包括的な言葉の内側に「ブロマンス」があるならまだしも、「セックスしないからカップリング/BLじゃなくてブロマンス」と主張することは、たとえ当人に差別的な意志がなくとも排他的に感じられることがあります。

正直なところ、こういったともすれば差別に関わる問題において、「わたしはそんな意図は込めていない」という主張は反駁にはなり得ないのではないかと思っています。「ホモ」については完全にこれだと思うのですが、「ブロマンス」はきっと微妙なラインにあるのでしょう。

「ブロマンス」という言葉の孕んでいる前提は、いくらか乱暴であり危険だと感じます。しばしば同性愛(をはじめとする様々な愛の形)に対する差別の免罪符として機能しかねないでしょうし、先に引用した記事では「否定のアリバイ(‘브로맨스’라는 부정의 알리바이)」という見出しが付けられています(これはGoogle翻訳を頼ったものなので正確さは保証しかねます)。

わたし個人としては、「ボーイズラブ」や「カップリング」という言葉が、あらゆる男性同士の関係性を包括するものとして浸透するのが最も望ましいのではないかと考えています。これについては下記のinatoさんの記事で詳しく語られているのでご参照ください。

 

illumination1710.hatenablog.com

 

ヘテロセクシュアルであること自体は同性愛差別ではありません。しかし、ヘテロセクシュアルのキャラクターを語るときに、自分が同性愛差別と捉えられるような言動をしていないかどうかは別です。それと同様に、同性愛コンテンツや同性間の関係性を重要視するコンテンツを愛好することもまた、語り手の意志がどうであれ、同性愛差別と捉えられるような言動の免罪符にはなりえないと思います。創作物の語り手であるわたしたちは、まごうことなき現実を生きているのです。

 

どんな言葉を使うかは個人の選択です。わたしは他人の使う言葉の選択に干渉できる立場にありません。この記事は、なぜ筆者個人がブロマンスという言葉を使いたくないのかについて述べたものであると解釈してくださるとうれしいです。