小夜倉庫

似たり寄ったりなことを百万回繰り返しても足りない

『ユーリ!!! on ICE』と「循環する愛」

――英雄は気まぐれに妖精を誘ったわけではなかった。ユリオにとってはまったく接点はないと思っていたが、実は五年前、ヤコフのサマーキャンプで、ふたりは一緒に練習している。

 

「憶えてないんだけど」

「そのときジュニア一年目だったおれは、ロシアのジュニア選手にまったく追いついていけず、ノービスクラスに入れられて、そこできみに出会った。ユーリ・プリセツキーは、一度見たら忘れられないソルジャーの目をしていた」

(略)

「オタベック。なんでおれに声かけたんだよ。敵だろ?」

「ずっとおれに似てると思ってたから。それだけだ。……おれと友達になるのか、ならないのか」

 

『ユーリ!!! on ICE』第10滑走より

 

『ユーリ!!! on ICE』はきっと循環する愛の物語だ。

この記事には第10話までのネタバレを含みます。

(16年12月17日追記)

 

 

 

mortal-morgue.hatenablog.com

 

この記事では、「愛」の種類や定義を一切問題にしない。それについては上記の記事を参照してほしい。

 

 

ユーリは(理由のひとつとして)故郷の家族を扶養するためにスケートをやっている。

フィギュアスケートで国からの援助を受けノービス時代から一家の大黒柱を勤める健気な一面もある。

 

TVアニメ「ユーリ!!! on ICE」公式サイト ユーリ・プリセツキーの項より

彼は祖父から貰った愛を「アガペー」だとして滑ってきた。アガペーという途方もない概念に対し、祖父の愛という輪郭を与えたのだ。

アガペーとは無償の愛である。しかし、それでもユーリは祖父の愛に報いたいという気持ちを抱いている。

貰った愛に報いようという思いが、ユーリ自身も知らない間に、オタベックという他人の心を動かしていた。そしてやがて、その愛は、ユーリが危機にあるときに、ユーリの元にかえってくるのだ。

愛を双方向にやりとりした彼らは、握手を交わし、友達になった。循環する愛が、未来の友達を呼んだのだ。

 

人は、ただ一生懸命に生きているだけで、誰かを救っていることがある。一生懸命に生きる誰かの姿は、いつの間にか、誰かに勇気や希望、あるいは愛と呼ばれるものを抱かせていることがある。

 

元はといえば、これは祖父とユーリの間の愛だった。しかしふたりの間で循環する愛は輪の外にまで伝播する。愛し合うふたりがたくさんいれば、世界はやがて愛で満ちるのではないかと信じることさえできるかもしれない。愛を輪の外で受け取っていたオタベックは時を経てユーリに愛を告げ、彼らの間に新たな輪が生まれた。だからきっと、それを人は希望と呼ぶ。循環する愛はこの世界の希望だ

 

 

ひとつ遡り第9話。ユーリは勇利に「モスクワの愛の結晶・特性ピロシキ」を渡す。このピロシキは彼が祖父から貰ったものだ。このシーンでは、循環する愛が実体を持ってわかりやすく描かれている。ユーリは勇利に愛を渡した。

勇利はカツ丼にエロスを見出し、ユーリはピロシキアガペーを見出す。カツ丼もピロシキも、彼らがそれぞれ出生家庭の家族から貰った愛だ。ユーリはきっとカツ丼とピロシキの相似に気づいている。

ユーリは長谷津でカツ丼を食べている。彼らは、それぞれの家族から受け取った愛を交換したのだ。

 

 

また、第10話では勇利とヴィクトルの間にあった衝撃の事実も明かされた。なんと勇利はバンケットで泥酔し、ヴィクトルに「Be my coach」と告げていたのだ。それはLIFEとLOVEをずっとほうっていたヴィクトルに大きな衝撃を与えた。

ずっと勇利の視点で語られていた『ユーリ』序盤は、シンデレラストーリーじみていた。インターネットにアップした自分の動画を観た憧れの人が、突然自分のもとに現れる。子供たちがこぞってYouTuberに憧れる現代において、それはシンデレラストーリーと呼べるだろう。

ところが、勇利はすっかり忘れていただけで、ヴィクトルは脈略なく現れた白馬の王子様ではなく、恩返しの男だったのだ。正体をいつわらないあたり鶴ではないが。

 

ヴィクトルは勇利に愛を教えてもらった。だから勇利に愛を教えた。勇利はヴィクトルに信頼をもらった。だからヴィクトルに指輪を贈った。彼らの間でも、愛は循環していたのだ。

 

勇利にとって、「金メダルが欲しい」と言うことには勇気が必要だった。ヴィクトルと出会って、それを言えるようになったし、ヴィクトルが欲しいとも言えるようになった。なにかを欲しがるためには自信が必要だ。ヴィクトルが勇利を信じたから、勇利も勇利を信じられるようになった。

なにかを欲しがることは難しい。それを宣言することは更に難しい。勇利が欲しがることができるようになったのは、酒の力を借りてではあるが、最初の第一歩の欲しがりを、既に踏み出していたからなのだろう。

 

愛を欲しがることは、愛を得ることと並んで難しい。しかし周囲に目を向けると、たとえ自分に向けられたものではなくても、自分を揺さぶることのできる愛が存在していることがある。たとえ自分に向けられた愛ではなくても、その愛によって救われることがある。そして、それによって得た愛が、人を救うこともある。

 

 

氷上を舞う彼らの循環する愛は、一体どこに伝播してゆくのだろう。それはきっと、テレビやパソコン、スマートフォンに向かうわたしたちだ。

 

生きることを恐れないで。愛することを恐れないで。今すぐじゃないかもしれないけれど、あなたが生きていることで救われる人がきっといるし、いつかあなたが苦しいときに、その人があなたを救うかもしれないから。一生懸命に生きて――『ユーリ』からは、そういうメッセージを感じることができる。

 

綺麗事かもしれないけれど、世界が綺麗であることを、信じられる限りは信じ続けたいと、わたしは思う。『ユーリ』は、そのためのエネルギーを与えてくれる作品だ。

 

 

余談だが、「循環する愛」について語られた作品に、『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』(1993)や『輪るピングドラム』(2011)などがある。どちらも幾原邦彦監督作品だ。特に前者は1時間で観られる映画なので、お暇なときにでもぜひ観てほしい。