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似たり寄ったりなことを百万回繰り返しても足りない

ディズニー映画『ディセンダント』に見る現代のプリンセスとパリサイド

descendant
【名】
子孫、末裔、門下生◆直接の子どもや孫ではなく、それ以降の遠い子孫を指す場合が多い。また、学問や芸術などの「門下生」という意味もある。同じ形で形容詞としても使われるが、descendentとつづることもある。
〔外観・機能・性質などが〕古い型に由来しているもの

 

parricide
【名】
親殺し(の犯人)、近親者殺し(の犯人)

 

この文章は、製作者の意図を探ることを目的としたものではありません。ともすれば偏見・色眼鏡とさえ呼べる、一個人の感想です。

また、この記事には『ディセンダント』(原題:『Descendants』)のネタバレを含みます。ネタバレを見たところで魅力的な作品であることに変わりはないのでとにかくこの映画を観てほしいです。

 

 

mortal-morgue.hatenablog.com

 

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この映画は、様々なディズニー映画のなんやかんやの二十年後、ディズニー・ヴィランズ(悪役)に子供がいたら……という、ヴィランズの子供たちが主人公の話だ。『眠れる森の美女』のマレフィセントの娘・マル、『白雪姫』の女王の娘・イヴィ、『101匹わんちゃん』のクルエラ・ド・ビルの息子・カルロス、『アラジン』のジャファーの息子・ジェイ。彼ら四人を中心に物語は展開する。

 

ラドン合衆国を治めるのは『美女と野獣』のビースト国王である。息子のベンはじき王位が継承される存在であり、彼は最初の仕事に「ヴィランズの子供たちをオラドン高校へ転向させる」ことを選ぶ。ベンは、ベンの選択を尊んでくれる両親のもとに生まれた、選ぶことのできる存在である。

ラドン高校の校長は『シンデレラ』のビビディ・バビディ・ブーのフェアリー・ゴッドマザーだ。彼女の杖が物語の鍵となる。

 

ヴィランズの子供たちがオラドン高校に転入するところから、物語ははじまる。

 

 

この映画は極めて現代的な「王子様とお姫様の物語」でありながら、「パリサイドの物語」でもある。
これまでの記事とかぶる部分も出てくるが、最高の映画だったので改めてここに語る。

 

いまどき、プリンセスはただ白馬に乗った王子様が現れるのを待っているだけではしあわせにはなれない。そもそも女性の幸福の形は「王子様と結婚すること」だけではない。『アナと雪の女王』では、そういった先進的ジェンダーフリーが顕著に描かれていた。

ところがこの『ディセンダント』は、お姫様が王子様との出会いをきっかけにしあわせになる物語だ。それっていいの? いまどき許されるの? と思う人もいるかもしれないが、わたしは断然アリだと思う。「ジェンダーフリー」とは文字通り「フリー」なのだから、そこには「王子様と結婚すること」も含まれているはずだからだ。

ジェンダーフリーとは、「プリンセス」を否定するものではない。「プリンセス」という概念を革新するものだ。


しかし、もちろん、マルはただ王子様を待っていたわけではないし、『ディセンダント』はそれだけの話ではない。

 

マルは悪人の娘であり、彼女もまた悪人になるように母親から「教育」されてきた。他のヴィランズの子供たちも、世間や社会から乖離した「常識」「教育」を教えられ、親の期待に応えようとしていた。親の期待に応えなければ殺されると、彼女たちは明確に認識していた。

 

「親に認められるチャンスなんだよ。私たちが邪悪で危険で容赦なくて残酷だって」

 

「ママが怖い?」

「たまにね。マルは?」

「ママに認められたい。期待を裏切ると怒られるから。もちろん私のこと愛してくれてる……ママなりに」

 

ヴィランズの子供たちが社会から承認される形での幸福を得るために乗り越える必要がある壁とは、彼女たちの親である。
『ディセンダント』は、ヴィランズの子供たちが、親の期待と社会の乖離を認め、後者を選択し、親を乗り越える映画である。

この映画のすごいところは、ヴィランズの子供たちが「いい人」になることを選択し親を「悪人」だとして決別するだけでは終わらないところにある。いや、確かにそういう形で終わってはいるのだが、それだけではないのだ。

 

「私は何年も努力して悪くなったの。お前もなれる」
「なりたくない。ママも悪い人になってほしくなかった。愛は弱くないしくだらなくもない。ステキなことよ」

 

マルは学校で得た新しい価値観でもって、母親を愛するのだ。こうして文章を書き連ねながら思い出すだけでも鳥肌が立つ程うつくしい。完璧だ。アバンギャルドでなおかつ世界への愛と期待に満ちた物語だ。母親の末路についてもひじょうにうつくしいものになっているので、ぜひ映画を確認してほしい。


ところで、ヴィランズの子供たちの変化のきっかけが「学校に通う」ことであったことも興味深い。
学校とは、たとえどんな出生家庭環境の子供でも、自分の可能性を見つめ、自分の価値観を模索・構築できる環境であるべきなのだと思える。
作中では、学校に「ヴィランズの子供だから」という差別や偏見が存在しているところも描いている。もちろん現実は厳しく困難だが、それでも、学校は自己革命のきっかけであることが理想なのだと示されたことは意義深いだろう。


マルは最後に、「こんな結末、想像できた?」と視聴者に呼びかける。マルは王子様に憧れる少女ではなかった。夢見てすらいなかった世界に彼女は飛び込んでいったのだ。

 

この映画は、自分の価値観を親に認めてほしかった子供時代を持つ人や、非常識な親に閉口したことがある人親を尊敬できない人などにこそ、ぜひ観てほしい。

 

 

おそらく、「パリサイド」の文脈は、馴染みのない人間にとっては不可視のものである。パリサイドの文脈を持たない人の一部にとって、この映画は、「悪人が学校に通い善人と交流し善人になる物語」「お姫様が王子様と結ばれて幸せになる物語」なのだろう。もちろんそれだけでも素敵な物語だ。
けれどもしよければ、パリサイドの文脈を頭の片隅において、いろんな作品に触れてほしい。物語を咀嚼する視点は、多い方がきっと楽しいだろうから。


最後に、そういったパリサイドマーケティングを兼ねて、おそらく多くの人が現代文の教科書で出会ったであろう物語をパリサイドの文脈で読み解く記事を紹介して筆を置く。存外、パリサイドとは身近なものなのだ。長年国語の教科書に載っていて、ディズニーがそれを描くくらいには。

 

mizukagami100.hatenadiary.com

 

 

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