読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

小夜倉庫

似たり寄ったりなことを百万回繰り返しても足りない

『文豪ストレイドッグス』初読時感想

2015/09/29 21:40
文豪ストレイドッグス』初読時感想


文豪ストレイドッグスを純粋に好きな人の閲覧を推奨しません。ですが、作品や作者に対して悪意を持ってこの記事を書いているわけでは決してありません。


既読:コミックス1~8巻 太宰治の入社試験 太宰治と黒の時代 探偵社設立秘話




  * * *



敬愛する榎戸洋司さんの脚本によってアニメ化が決定された『文豪ストレイドッグス』。アニメ鑑賞の資料とするため、現段階での感想をしたためておく。

わたしは特段文豪たちにこだわりがあるわけでもないし、彼らの作品をほとんど読んでいない。寧ろこれを機に興味を持ったクチである。

ネタバレを踏みたくない人、『文スト』が好きな人は読まないことを推奨する。

  * * *

まず指摘すべきは、フックと内容の不均衡だろう。
わたしが最も問題だと感じたのはここである。表紙や帯から察せられるのは「イケメン化した文豪が異能を用いて戦う」ということだが、この話の最たる部分はそこではないと感じる。いや、確かにそこではあるのだが。
この漫画は「キャラクター漫画」なのだろう。イケメンがイケメンするのを鑑賞しときめくためのものである。イケメンがイケメンするための設定、イケメンがイケメンするためのストーリー、イケメンがイケメンするための世界観だ。
勿論それは大いに結構なのだが、問題はこのイケメンが元ネタとなった文豪をリスペクトしたイケメンではないということだ。いや、厳密にはすこし違う。それ自体は問題ではない。ただ、最初にこの作品を手に取った読者が「文豪をリスペクトしたイケメンがイケメンする漫画」を期待してしまうということだ。
太宰治と黒の時代』のあとがきから汲み取れる原作者の思惑としては、あくまで元ネタの文豪たちとは切り離した、架空の横浜を舞台とした物語であるというのがあるのだろう。しかし、それが読者に伝わらず闇雲に苛立たせているのでは、批判されても致し方ないだろう。
小説版を読んでみて、原作者に文豪リスペクトがまったくないとは思わなかった(大いにあるとも思わなかった)。だがキャラクター性においてはかなり割り切られており、その割り切りは当然読者にも要求される。原作者と読者の認識のギャップが、読者に「詐欺」だと感じさせているのだろう。

アニメ化の際にも、ここは大きな障壁となる。改めてこれまでとは違う層にもマーケティングしていくことになるだろうが(現在は若年層の女性を中心に人気らしい)(榎戸さんと五十嵐監督は少女漫画原作である『桜蘭高校ホスト部』のアニメ化の際も、多くの男性ファンを楽しませた)、その際に原作と同じ失敗をしてしまうのはよくないだろう。漫画なら買った分は読んでもらえるが、アニメは切られたらそこからはもう観てもらえないのだ。
回避する手段は大きく分けてふたつあり、ひとつは「文豪をリスペクトしたアニメであると視聴者が受け取ってしまうようなマーケティングを行わない」。もうひとつは「アニメの中に文豪リスペクト要素を盛り込む」。どちらもなかなか困難であろう。しかし第13話「不思議の国のハルヒ」をはじめとする『ホスト部』を顧みるに、後者を期待したい自分がいる。まだ観てない人は黙って観ておいた方がいい。国民の義務だ。
しかし、様々な人の感想(批判も絶賛も)を見るに、どうやら「イケメン化した文豪が異能で戦う」というのはなかなかよいフックであるらしい。これだけ批判されているのは、寧ろそのフックが効果的すぎたからだ。そうなればこのフックを手放すこともまた得策ではないだろう。これを含めても、後者に期待したいところだ。

  * * *

そもそも「イケメン化した文豪が異能バトルをする」というのは、物語の外のフックである。ではストーリーとしてのフックはなんなのか。後の展開を顧みるに、おそらくこの物語の要は組合・フィッツジェラルドが探し求めているという本である。そしてそのための繋ぎ、すなわちフックの役割を果たすのは「なぜ敦には七十億もの懸賞金がかけられているのか」だ。これは上手に機能しているとは言い難いだろう。最も主軸の部分のストーリーの印象は驚くほど薄く強調されていない。この点は作劇上のミスとしか言いようがないと考える。

  * * *

フックと内容の不均衡から生じる問題として、「読者が作品をどう読めばいいのかわからない」ということが挙げられる。国語のテストではまずリード文を読み、それから長文を読む。しかし長文とまったく異なるリード文を読まされたら混乱してしまう。ミスリードというと語弊が生じそうだが、作品を手に取る前の情報の多くが誤誘導のようなものだというのは大きな問題だろう。

これについては『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンドと並べて語りたい。下記のサイトでも触れられている。

文豪ストレイドッグスの評価が低い理由 - のほほん読書感想録
http://kansou135.hatenablog.com/entry/2015/02/05/201500


ジョジョ』のスタンドや登場人物の名前には、洋楽のタイトルやアーティストが用いられることが多い(タロットカードなどの例外もある)。だが、『ジョジョ』においては「洋楽へのリスペクトが足りない」という批判はすくない(わたしの観測範囲では見かけたことがない)。それはなぜか。それは、洋楽があくまでオマケ的オマージュに留まっているからだ。気付いた人がにやりとする、その程度のものに過ぎないからだ。というかそもそも、話が面白いからだ。
ジョジョ』はなにも「異能力の名前が洋楽なんです!」と宣伝された漫画ではない。たとえあれほど面白いジョジョであっても、もしそんな宣伝をされて売られていたら、読了後は「洋楽がなんだったんだよ!」と思うだろう。それをやらかしているのがこの作品である。「文豪がなんだったんだよ!」

  * * *

わたしはイケメンがイケメンする漫画を批判したいわけではない。それが結果として詐欺だから釈然としないものを抱えているだけだ。わたしだってイケメンは好きだし太宰や中也にときめいたりもする。『双つの黒』の共闘はやばかった。事実上のセックスだった。腐ったハートがせつなく震えた。
だからこそ、フックの不均衡と序盤のつまらなさを嘆いているのだ。

はっきりうと、この漫画の序盤は面白くない。武装探偵社・ポートマフィア・組合の三勢力構造がはっきりしてからはそこそこ楽しく読んでいる(面白くなったというより、わたし自身がこの漫画に慣れてきた)。バトル自体の面白さは薄いが、やはりキャラクターはデザインも人格も魅力的だ。小説、というか『黒の時代』も面白かった。『黒の時代』については手放しに賞賛している自分がいるくらいだ。
しかし序盤は驚くほど面白くない。無尽蔵に増えてゆく印象の浅いキャラクターにクラクラする。鏡花を巡るポートマフィア・芥川と武装探偵社・敦の戦いは、芥川と敦の対比や太宰から敦へ敦から鏡花への連鎖など、面白くできる要素がいくらでもありそうなのに驚くほどつまらない。テンポが悪い。

異能バトル漫画としては、先述したように面白くなくても構わないだろう。その観点から語るならば、これは『ジョジョ』から一切の面白さと筋肉を抜いたような漫画ということになってしまう。異能はイケメンがイケメンするのを支える土台に過ぎない。

  * * *

だがそこにも問題がある。イケメンがイケメンするための土台がお粗末すぎるのだ。

この漫画の大きな問題のひとつ(いくつあるんだ)が「世界観の不完全さ」であるとわたしは考える。
この作品の舞台は横浜である。しかし描かれた限りでは横浜という言葉で片付けてよいものではない。時代錯誤な孤児院も当然のように闊歩する和装の人も、そして最新鋭の電子機器や武器も。そういった混沌をうまく描ければもうちょっと面白くなるのではと考える。
なにも言葉で語る必要があるわけでも大仰な設定が必要なわけでもない。ただ、こういう特異な世界観であるにもかかわらず、背景は撮った写真を参考に書いたような捻りのないリアリズムばかりであるのがつまらないのだ。

要は世界に説得力がないのである。イケメンがどんなにイケメンしようとも、その地盤がぐらついていてはイケメンも形無しだ。イケメンをうまくイケメンさせるのは存外むつかしいことなのだろう。

  * * *

そもそも異能とはなんなのだろう。作中人物が使う特殊能力であるが、それが作中世界においてどのようなものなのかはひじょうに不明瞭である。
『探偵社設立秘話』においては「一般人にとっては都市伝説のようなもの」として描かれている。しかし1巻第1話の孤児院から出てきたばかりの敦は、武装探偵社をなぜか知っており、そればかりでなく異能者組織らしいと認知しているのだ。
異能は都市伝説である。武装探偵社は実在する組織である。武装探偵社の事態解決は異能によるものだと噂されている。――ここまではわかる。それをなぜ敦は知っていたのか? どうとでも考えられる部分ではあるが、釈然としないものがあるように思う。
一般人から見た異能の描写は全体的に不足していると感じる。

  * * *

そもそもマフィアとはなんなのか。29話の描写からして、ポートマフィアの収入源も、一般と同じく街の商店などからのみかじめ料を含むだろう。市民にとってマフィアは自分たちや街を守ってくれる存在なのだ。
ところが3話の芥川は突如交番を爆破する。この交番・警官は街やマフィアの商売に不利益となる何かを行っていたのかもしれないが、描写の限りでは芥川の行為は単なるテロリストである。
後の展開を考えると、探偵社が街に貢献している描写と同様に、その裏でマフィアが街を守っている描写も必要であろう。それどころかマフィアという組織を誤解させてあまりある描写しかないのはこれいかに。芥川の残虐性も重要ではあるのだが。

  * * *

また、しばしば批判の的となっているのが逆転構造である。
太宰と芥川、ポオと乱歩。目立つところではこのふたりだろうか。

引用

「『文豪ストレイドッグス』には実物の小説家達との共通点ばかりではなく、相違点、史実と逆の設定なんかも非常に多くあります(たとえば太宰治芥川龍之介にずっと憧れていました)。」

文豪ストレイドッグス 太宰治と黒の時代/朝霧カフカ

引用ここまで

なんと、あれ程元来の文豪フリークを苛立たせた逆転構造は原作者の意図するところだったのだ。
逆転構造によってなんらかの効果があったとは考え難い。ひょっとしたら今後「もっと違う出会い方をしていたら、私達はまったく逆の関係だったのかも知れないよ」とか言い出すかもしれないが、現段階ではなんの効果もなく、ただ元来の文豪フリークをキレさせただけである。これは作者の自己満足以上のものではないだろう。

……まあとにかく、榎戸さんがうまくやるタイプの話だと思った(最重要)